第2回「海洋概論」
石森繁樹
第2回 海洋概論
海とは何でしょうか。自然としての海の特質および海洋の国際政治的な性格について概観します。
九州から津軽海峡へ向かう沿岸航海や対岸にあるウラジオストックまでの船旅を経験すると日本海も結構な広さだと感じます。それでも太平洋と較べれば1%にも満たないというから海はとてつもない広さです。
世界の海の全体像は、いわば1つの器(basin)に莫大な水が湛えられた平均水深が3700mの大海原です。一方、日本海のほうは大陸と島弧に囲まれた平均水深が1350mの縁海である。
海底はどうなっているのでしょうか。もともと地球が誕生した灼熱状態のときに重い物質は沈み軽い物質は浮きました。やがて冷え固まって核、マントル、地殻が形成されますが、海底地殻は玄武岩質の重い岩石でつくられ、大陸地殻は花崗岩質の軽い岩石でできました。地球表層はこの地殻とマントルの最上部から成る約10枚のプレートで覆われて互いにゆっくり動いていると考えられるようになりました (プレートテクトニクス)。こうした海底の世界は、広大な深海平原に延々と連なる海底山脈(海嶺)、それにプレートが沈みこむ海溝が配置された、まさに山あり谷ありの様相を呈しています。
大陸棚は海岸線から深さ約200mまでの比較的平らな部分をいいます。そこは氷河時代に陸であったため河川の痕跡、海底林、石油や天然ガス資源などが見つかり、世間から注目される場所になっています。最近は国際法で沿岸国の「領土の自然の延長」と考えられ大陸棚の境界画定(1)をめぐる議論が活発化しています。
この浅い海底の世界は大陸棚から急傾斜の大陸斜面をへて深海底に連なっています。海底斜面には混濁流が刻んだ海底谷やその谷口にはしばしば深海扇状地が発達しています。前述したように平均水深約3700mの海底には平坦な深海底が広がり、所々に海山や海嶺が聳え、陸や島弧に近いプレート境界には深い海溝が見られます。
水の惑星といわれる地球の表面には約14億km3の水があり、その97% は海に存在するといいます。
海を理解する上で水温Tと塩分Sの観測は重要です。世界の海で水温は-2~28℃、塩分は33~37 psuの範囲で変化しています。大西洋の塩分は太平洋より高く、蒸発が降水に勝る亜熱帯高圧帯では多雨の赤道帯や高緯度帯より高塩分です。T、Sの分布を知ると水塊の起源とか海水の流動がわかります。これまでに得られた多くの観測データから全海洋の平均水温が3.5℃、平均塩分は34.7psuと計算されます。
日本海の85 % を占める海水は非常に均一な水塊であるため、日本海固有水(Japan Sea Proper Water)という特別な名前がついています。この水塊の特徴は、冷たいこと(0.0~1.0 ℃)、塩分が低いこと(34.00~34.10 psu)、溶存酸素量が多いこと(210~260 μmol kg-1)です。
大気を鉛直温度分布の違いから対流圏、成層圏、中間圏、熱圏と分類したように、海洋も水温の鉛直分布によって表層混合層、水温躍層、深層に分類します。また、海洋は海水の密度差によって成層しますので表層水、中層水、深層水、底層水と区分することもあります。
海水は熱容量が大きく地球のエアコンとして気候の調節に重要な役割をはたしています。また海の大きな熱的・力学的慣性は生物生存が可能(habitable)な環境をつくりだしています(後述)。
海水は物質をよく溶かし地球の物質循環に大きな役割を果たしています。海にはほとんど全ての元素が含まれ、水の成分であるHとOを除けば濃度順でCl、Na、Mg、S、Ca、Kの6つの元素で99% 以上を占めるといいます。これらの元素は塩化ナトリウム(NaCl)、塩化マグネシウム(MgCl2)、硫酸ナトリウム(Na2SO4)などの塩として溶け海水中ではイオンとして存在します。面白いことに、これらイオンの組成比はどこの海でもほぼ一定であることが見いだされています(チャレンジャー号の世界周航海洋調査でディットマーが発見(2)、1884)。大気の成分組成(混合比)も高度約80kmまでほぼ一定でありますから、海洋も大気も対流や大循環でよく混合されていることがわかります。
海水には酸素(O2)や二酸化炭素(CO2)などの気体も溶存しています。酸素は直接大気からと植物の光合成から供給され、生物の呼吸や有機物の酸化に使われながら熱塩循環によって深海まで運ばれます。二酸化炭素は植物の光合成に利用され、円石藻(ココリス)やサンゴなどの殻を作るのに使われます。これらの遺体や排泄物の一部は深海に沈降して炭酸塩岩となります。
海には光合成により無機物から有機化合物を合成する植物プランクトン(生産者)、それを餌にする動物プランクトンや小魚(消費者)、そして生物の死骸や糞などの有機物を栄養源とするバクテリア(分解者)など多様な生物が住み、豊かな生態系をつくっています。そうした生物の成長や活動にはさまざまな微量生元素が必要ですが、海ではとりわけ農作物の肥料にあたる窒素(N)、リン(P)、珪素(Si)が重要です。
海洋と物質循環の関わりを炭素について見てみましょう。炭素は宇宙で水素、ヘリウム、酸素の次に多い元素(3)ですが、地球では大気のCO2、生物がつくる有機物([CH2O]n)、地殻を構成する岩石(CaCO3など)などとして存在します。もともと火山の爆発で放出された炭素の一部は生物の有機物生産にとり込まれました。海中に存在する有機炭素はやがて分解されて無機質に戻り、あるものは生物の骨格・殻(炭酸カルシウム)や死骸・糞粒(粒状有機物)として海底に沈み石灰岩(炭酸塩岩)となります。プレート運動で地中深く沈みこんだ石灰岩はマントル内の高温下で、次の化学反応(4)により変性岩(珪酸塩岩)になります。
CaCO3 + SiO2 → CaSiO3 + CO2
変成岩は中央海嶺で噴出して新たな地殻をつくり、やがて風化作用を受けます。この反応で発生したCO2は火山爆発によって大気中に放出されます。このように炭素はさまざまな時間スケールの過程をへて大気、生物、海、地殻の間を循環します。
産業革命以降、大量の化石燃料が使用され大気中の二酸化炭素濃度が急速に増加しました。最近では人間活動により毎年5.5 Pg(ペタグラム、1015g)の炭素が大気中に放出され、そのうち3.3 Pgが大気に留まり、0.7 Pgは陸に、残り1.5 Pgが海に吸収される(5)ということです。
二酸化炭素が大気から海洋に吸収される道筋としては3つの過程が考えられます。一つは、大気と海洋のCO2濃度差によるものです。海面の両側においてCO2の分圧に差がありますとCO2分圧の高い方からCO2分圧の低い方にCO2が輸送されます。この機構による二酸化炭素の輸送は物理ポンプといわれます。海に溶解した二酸化炭素は、水和したガス状のCO2、炭酸イオン(CO32-)、炭酸水素イオン(HCO3-)の状態になっています。この3者の存在比率(6)は1:10:100で、負の電荷をもつ炭酸イオンと炭酸水素イオンが圧倒的に多くなっています。因みに、海中で正の電荷を供給する主な元素はNa、K、Mg、Caで、海水全体が電気的に中性となるようにイオン分布が決まると考えられます(7)。
つぎは、植物プランクトンによる海の基礎生産、すなわち光合成によるCO2の吸収です。海洋生物は炭酸水素イオンから骨格や殻(炭酸カルシウム)をつくります:
Ca2+ + 2 HCO3- → CaCO3 + H2CO3
この反応に使われるCa2+ は珪酸塩岩の風化作用(8)で川から海にもたらされたものです:
CaSiO3 + 2 CO2 + H2O → Ca2+ + 2HCO3- + SiO2
こうして生産された有機物は動植物の死骸や糞粒として深層へ運ばれます。この炭素循環の機構は生物ポンプと呼ばれます。
もうひとつは、深海における炭酸カルシウムの溶解が、まわりまわって大気中のCO2を海にとり込むという機構です。円石藻や有孔虫などの炭酸カルシウム殻が深海に沈降しますと高圧のために溶解しはじめます。たとえば太平洋では約2000mの深さで炭酸カルシウムの溶解がおこります(この深さを補償深度といいます):
CaCO3 + CO2 + H2O → Ca2+ + 2 HCO3-
この反応で使われるCO2は有機物が沈降する過程で酸化され生じたものです。こうして二酸化炭素の少なくなった海水が海洋循環で表面に出てきますと大気からCO2を吸収するというわけです。この過程はアルカリ・ポンプと呼ばれています。
大気中のCO2が増加して海が酸性化(9)(acidification)しますと、CaCO3の飽和度が減少して海に存在するCaCO3が溶け出し、サンゴの成長が阻害(10)されるなどの危険性が指摘されています。
海面を吹く風は波を発生させるだけでなく海面下数100mの表層に風成循環(wind driven circulation)という流れをつくります。また、海水の密度差は深層を流れる地球規模の熱塩循環(thermohaline circulation)を生じます。こうした循環は熱帯のあり余る熱を高緯度に運ぶ働きをします。また月の引力による潮汐などで海水は絶え間なく動いています。この点は海と気候変動のかかわりを理解する上で重要です。
昔から海は食料収穫の場であり、暮らし憩う場でした。ときには、多量の物を運び、重い物資を輸送する路となりました。海は国や人を隔てるものでなく結びつけるものといわれますが、海に親しみ航海の術(すべ)を身につけた民はやがて遠い国へ漕ぎだすことになりました(11)。当然とも云えますが、こうした海での人間活動はすべて自由を原則としていました。しかし、中世の都市国家が軍事力をもち地中海で海の領有権を主張したり、16-17世紀には北欧やイングランドで漁業水域をめぐり海の線引き論争を起こします。こうした風潮はグロチウスの「自由海論」やセルデンの「閉鎖海論」をうみ、18世紀には多くの国が領海を主張するようになりました。第2次世界大戦後、アメリカのトルーマン大統領が大陸棚宣言(12)を行うと、これに同調して中南米諸国を中心とする国々が広い海域を自国の領海と主張するようになりました。
長年にわたる海の秩序を乱すこのような不穏な動きに歯止めをかけようと国連海洋法会議が開催されました。1958年から四半世紀の審議をへて1982年に海洋に関する包括的な国連海洋法条約が採択されました。こうして沿岸国の主権が領海(12海里)、排他的経済水域(200海里)、大陸棚(最大350海里)に及ぶようになり、世界は200海里時代に突入しました。いまや海の40%はいずれかの国の管轄下に属し、自由な海はわずか60%とたいへん狭くなってしまいました。
注)海里とは:
航海や航空界で使われる長さの単位。1海里=1852m。地球の両極を通る子午線の長さを4万kmとしたときの中心角1分に対する円弧の長さ。船の速度の単位1ノットは毎時1海里のこと。
まとめ
1 海は地球表面の7割を占め、平均水深は約4kmである。
2 海底地殻は玄武岩質でできており中央海嶺で誕生し、海溝に沈みこ
む。
3 海洋開発で注目される大陸棚は領土の自然の延長と考えられるよう
になった。
4 日本海の大部分は「日本海固有水」という特異な水塊で占められ
る。
5 海洋は水温の鉛直分布によって表層混合層、水温躍層、深層に分類
される。
6 海水に含まれる主要元素Cl、Na、Mg、S、Ca、Kのイオン組成はどこ
の海でもほぼ一定である。
7 海の基礎生産者は植物プランクトンや海藻である。
8 二酸化炭素は3つの過程で海に吸収される。すなわち物理ポンプ、
生物ポンプ、アルカリ・ポンプの3種類である。
9 海には風成循環と熱塩循環という大循環がある。
10 世界は200海里時代に突入した。
よくある質問
① 深層の海洋循環が熱塩循環といわれる理由を知りたい
(答)深層の海洋循環は大規模な対流現象と考えられる。グリーンラン
ド付近と南極のウェッデル海で冷たく重い海水が沈みこみ、これが引き金となって生じると考えられている。表層海水の密度は温度と塩分で決まる。
② テキストにある「地政的に特異な位置にある日本海」の具体的なイ
メージが描きにくい
(答)環日本海諸国と友好関係がある場合、日本海は国と国を結ぶ明る
い海となる。関係が非友好的な場合は国と国を隔てる暗い海となる。入口・出口の狭い日本海はときに池にたとえられるが、そこに放射性廃棄物が投棄されたり、テポドン騒ぎが起こったり、竹島を巡る排他的経済水域の線引き問題が生じる。日本海の地政学的特異性を活かした国策、とくに海洋権益を守る外交政策の樹立は高度の政治判断が求められる重要課題である。
③ なぜ富山湾に多様な生物がいるのか
(答)対馬暖流系の水が日本海固有水の上に乗った二層構造になってい
ること、河川水や地下水の流入があることなど。
④ 海流があるのに、なぜ水温は均一にならないのか
(答)海流は水温を均一化するのではなく、水温の違いが海流を生ずる
と考える方よい。
⑤ 硫酸ナトリウムも塩なのか
(答)強酸の硫酸と強塩基の水酸化ナトリウムからつくられる塩であ
る。
⑥ 日本海固有水の水温、塩分、溶存酸素量が定常な理由はなにか
(答)基本的に海水は鉛直方向に安定な成層をしているから。
参考文献
(1) 玉木賢策著「地球科学と国連海洋法条約大陸棚問題」
JGL,Vol.4, No.1, 2008
(2) Sverdrup,H.U., Johnson,M.W. and Fleming,R.H.
The Ocean. Prentice-Hall,1954
(3) 住明正、松井孝典、鹿園直建、小池俊雄ほか著「地球環境論」
岩波書店、1996
(4) Wallace,J.M. and Hobbs, P.V. Atomospheric Science.
2nd ed. Elseiver, 2006.
(5) 渡邊誠一郎、檜山哲哉、安成哲三編「新しい地球学」
名古屋大学出版会、2008.
(6)UNFCCC/WMO/UNEP IPCC Fourth Assessment WG1 Report.
IPCC,2007.
(7)W.S. ブロッカー著/新妻信明訳「海洋化学入門」
東京大学出版会、1981.
(8)前掲書(6)
(9)前掲書(4)
(10)遠藤一桂著「カルサイト-アラゴナイト問題」
JGL,Vol.4, No.4,2008.
(11)片山一道著「海のモンゴロイド」吉川弘文館、2002.
(12)村田良平著「海洋をめぐる世界と日本」成山堂書店、2001