第5回 「海洋と生物」
石森繁樹
主観になるが海と生物について二つのことが印象に残る。ひとつは、ダーウインの「ビーグル号航海記」(1)である。彼はガラパゴス、タヒチ、インド洋キーリング島(今のココス諸島)の海を見ながら美しいサンゴ礁に裾礁, 堡礁、環礁の3種類があることを知り、その成因を説明した。サンゴ虫が浅海でしか生息できないこと、長い時間スケールでは島も沈むことなどを考えての着想であったが、博物学者の卓見に驚嘆させられた。サンゴといえば温暖化に伴う白化現象や海洋酸性化による石灰質骨格の溶解現象など今日も話題が絶えないが、25年ほど前のある講演「富山湾東方海域の深海サンゴ」でサンゴが富山湾の水深100~150mの海に生息すると聞いてびっくりしたこともあった。もうひとつは、深海生態系の発見である。ウッズホール海洋研究所の潜水調査船アルビン号は1977年ガラパゴス諸島付近の海底2500mで新しいタイプの生物群集を見つけた。tube worm, giant clam, mussel, white crabなどの動物群が、古細菌(archaea)がつくりだすエネルギーをちゃっかり利用して生きているというものであった。マントルが上昇する断裂帯近くの湧水(約12℃の温水)にはCu、Zn、Pbの硫化物が多量に含まれる。暗黒の世界に棲む古細菌は光エネルギーの替りに硫化水素の分子内結合エネルギーを利用して有機物を合成していたのである。これは生物学における20世紀最大の発見といわれる事件であった。
生命のふるさとである海には、このように美と神秘と驚きと不思議に満ちたさまざまな生物の営みがあるが、ここでは海洋生物について基礎的な知識の一端に触れる。
5.1 海の生物と生息環境
地球上には多様な生物がいる。現在知られている生物の種類は陸上生物が約180万種、海洋生物が25万種という。今後広い海の調査が進めば、莫大な数の新種が登場するだろう。友人の生物学者はいう。「海は観測のたびに新種が見つかるまさに発見に満ちた冒険の世界だ」と。それにしても海にはいろいろな生き物がいる。鯨や魚(脊椎動物)、ホヤ(原索動物)、ウニやヒトデ(棘皮動物)、エビや蟹(節足動物)、イカや貝(軟体動物)、ゴカイ(環形動物)、サンゴ虫やオワンクラゲ(刺胞動物)、クシクラゲ(有櫛動物)、植物ではアマモ(被子植物)、コンブ(褐藻類)、テングサ(紅藻類)、アオサ(緑藻類)、これらは多くの人が目にする生きものである。ケイソウ(珪藻類)、ラン藻(藍藻類)、細菌類となると小さくて顕微鏡を使わないと見えない。見えないといってもばかにならない。岸辺で掬う海水1ml中には100万個の細菌が存在し、海洋全体の細菌炭素量は0.71Pgになる(2)という。そういえば、原始の海に酸素を供給したのも原核生物のラン藻(3)であった。
生き物にとっての生活環境は海と陸でおおいに違う。陸上生物の活動はほぼ大気と陸の境界に限られるが、海洋生物は明るい海面から暗黒の海底に至る広い空間を棲家とする。海では温度や塩分の変化は緩慢であるが、光は急速に吸収されてしまう。とくに長波長の赤色光はよく吸収され、20mも潜ると青味がかったうす暗い世界になってしまう。光の透過深度は一概に言えないが、植物プランクトンによる正味の基礎生産が行われる有光層(euphotic zone) の下限とすることが多い。植物プランクトンは光を利用して糖質を合成するが、生きていくために必要なエネルギーは自らが生産した有機物を消費する(呼吸)。植物の光合成による生産量と呼吸による消費量がつりあう深さを補償深度という。その深さは海域や季節によって異なるが沿岸域では数mのところもあり、澄んだ熱帯の海で150mに達するところもある。しかし、どんなに透明な海でも1000mの深さになれば太陽光が届かぬ暗黒の世界となる。植物が存在できない無光層(aphotic zone)である。有光層から無光層までの中間層はかすかな光はあっても植物による純生産量はない。水中の圧力は10m降下する毎に1気圧ずつ増える。1000mの海底は100気圧の高圧の世界である。陸の常識ではこのような海は生物の住めない過酷な環境と思えるが、もっと深いところにも動物や細菌(バクテリア)が生存するから驚きである。生物の呼吸に必要な酸素は陸では十分に存在するが、海中では表層の有光層を除き不足気味となる。すなわち大気中の酸素濃度は容積比で20.947%であるのに対し水中の溶存酸素濃度(4)は250.0mmol/m3である。これに対して二酸化炭素は大気中では385ppmであるが、海洋表層では13.6mmol/m3と光合成には十分な量が存在する。海と陸の生存環境は密度、粘性、重力(浮力)、熱容量などの面でも大きく異なる。
5.2 海洋生物の分類
海洋生物はその生活様式によりプランクトン(浮遊生物)、ネクトン(遊泳生物)、ベントス(底生生物)に分類される。プランクトンは水の流れに身を任せて生活する微小な生物が多く、植物プランクトン、動物プランクトン、バクテリアがこの範疇に入る。水中では浮力が働き、陸の動植物ほど体重を支える必要がないため骨格をもたない生物が多い。それでも沈む宿命は避けられないので海水の粘性をうまく利用するため体積に対して表面積を大きくするように進化したり、脂質を身につけ浮力を増すなどの工夫をしたものが誕生した。 植物プランクトン(2.0 ~200 μm )は光合成により糖質などの有機物を合成する生産者であり、動物プランクトン(微視的な種もあるが一般的に植物プランクトンより大きく、網目200μm以上の採集ネットが多用される)は植物プランクトンを捕食して生活する消費者であるが、一方で魚の餌ともなる。バクテリア(細菌、ピコプランクトン0.2 ~2.0μm )は生物の死骸や排出物を分解して、生体に必須な窒素やリンに還元する分解者である。このようにプランクトンは海の生態系をささえる重要な役割を果たす。
ネクトンは遊泳能力を持ち水中を自由に移動する生物で、魚、鯨、ウミガメなどがこの範疇に分類される。この定義に従えば海水浴場で泳ぐ人もネクトンになってしまう。自由に動き回るといっても、ふつう水温、塩分、栄養塩、圧力などで行動範囲が制限されるが、鮭やウナギは淡水と海水の両域を何千kmにもわたって旅をする。
ベントスは海底に棲む生物である。摂食様式により3つの生活スタイルがある。ホヤやアワビは岩などに付着して生活する。カレイやヒラメは海底を這い回ったり、寝そべって生活し、バイや二枚貝は砂泥中に身体を埋めて生きている。ホヤは岩に着生して水孔から海水のプランクトンを捕食する。アワビは岩礁に付着して海藻を食べ、カレイやヒラメは海底のゴカイや貝や魚を餌とする。バイは魚の死骸を好んで食べ、二枚貝は砂泥中の有機物を主食にする。
以上は海洋生物のひとつのグループ分けであるが、それぞれが勝手に独立して生きているわけではなく、互いに食う・食われるの関係(食物連鎖、食物網)を介した大きな生命(いのち)の輪で結び付いてる点が重要である。
5.3 生態系を流れる物質とエネルギー
富山湾には植物プランクトンを生産者とし、この上に動物プランクトン、シラエビ、ホタルイカ、アジ、イカ、イワシ、サバ、ブリなどの消費者が食物連鎖を形成する浮き魚群集がある。また海底にはバイガイ、ナマコ、ベニズワイガニ、ホッコクアカエビ、カレイ、メバル、タイ、アンコウなどの底魚が動植物の糞粒や死骸を出発点とする別の食物網に支えられた生態系をつくっている。生物個体は同種・異種の生物間で食う・食われるの関係を保ちながら、一方では、たとえば富山湾の地形、水温、海流、水中光量、栄養塩類などの物理環境にあった特徴的なまとまりを形成する。このように生物は生物間だけでなく非生物的な環境も含め常に周囲と影響しあって生態系を構成している。
生態系の隠れた動態として物質循環とエネルギーの流れが重要である。植物プランクトンは太陽光のエネルギーを使い二酸化炭素と水からデンプンを合成する(基礎生産)。また、成長のために窒素やリンなどの栄養素が不可欠であるが面白いことに、植物プランクトンがつくる有機物中の主要元素比はおおよそC:N:P=106:16:1であることが知られている。この比はレッドフィルド比(Redfield ratio)と呼ばれる(5)。光合成は太陽の光エネルギーを有機物の化学エネルギーに変換する機構である。色素であるクロロフイルが光を電子に置き換えるなど複雑な化学反応(6)が関与している(明反応とカルビン回路)が、次のように表現できる。
6CO2 + 6H2O ⇔ C6H12O6 + 6O2
ここで右から左への逆反応が呼吸である。反応式をさらに簡略化すると
CO2 + 2H2O ⇔ 「CH2O」+ H2O + O2
この式は光合成において植物が気孔から放出する酸素が二酸化炭素ではなく水に由来することを説明するのに使われる。
さて硫黄細菌の光合成の化学式も上式と同型である。
CO2 + 2H2S → [CH2O] + H2O + 2S
これは硫黄細菌が二酸化炭素を還元する水素を、水(H2O)ではなく硫化水素(H2S)から得ていることを示している。反応式が類似の形になるのは、酸素も硫黄も16族の元素であることを思えば頷ける。また、先述したように深海の生態系では硫黄細菌が太陽エネルギーの替りに化学エネルギーを用いて基礎生産を行っていることに注目したい。
植物プランクトンが生産した有機物は動物プランクトンに捕食され、小魚がこの動物プランクトンを食べ、これをまた大型のネクトンが餌とする。植物プランクトンや魚の死骸や排泄物の一部は、水中を落下する途中で酸化され、バクテリアによって分解されて無機物に還元される。また、動物の体内で不用になった蛋白質はアンモニアの形で尿として排出される。死んで海底に落ちた生物はベントスの餌となりバクテリアに分解されて二酸化炭素、アンモニウム塩、硝酸塩となり湧昇や大循環によって表層に運ばれ再利用される。
このように炭素や窒素などの物質は生物体内で有機物に変身するがやがて分解されてもとの炭素や窒素に還元され生態系の中を循環する。光エネルギーの方は化学エネルギーに変換され、生態系を流れて最終的に熱となって散逸してしまう。このように物質は生態系の中を循環して再利用されるが、エネルギーは生態系の中を一方的に流れて循環することはない。それで生態系を健全に維持するためには外部から絶えずエネルギーを注入する必要がある。
5.4 水産資源をどうする
海の恵みといえば誰でも真っ先に水産資源を思い浮かべるだろう。石器時代の大昔から人は海から食料を得てきたし、現在も世界全体で動物性蛋白質の20%(7)を魚介類から摂取し、日本で40%、バングラデシュでは80%を魚に依存しているという。かつて海の資源は無尽蔵と言われたが、世界の漁獲量が毎年増加する中でかなりの有用魚種に獲り尽くし(枯渇)や資源量の減少が見られるようになった。天然資源は有限なのである。そんな中で、次のような悲しい現実がある。FAOの推定によると1997年の総漁獲量1.1億トンのうち混獲された(bycatch)魚の約2500万トンが無駄に捨てられている(discards)という。目当てにした魚種でない、値打ちが無い、小さい、割り当て以上に獲り過ぎた、そんな理由でカニや鱈などが大量に捨てられている。
わが国の水産物(魚介類+藻類、養殖も含む)生産量は1984年の1280万トンから2000年の640万トンへ半減してしまった。これからの200海里時代を生き抜く水産の戦略は何か、模索すべき海の大きな問題である。
まとめ
1 ダーウインはサンゴ礁に3種類があることを発見した。生物の
営為がつくる地形と説明した。
2 ウッズホール海洋研究所のアルビン号は深海で熱水生物群集を
発見した
3 生物の生活環境は海と陸で大きく違う
4 植物プランクトンによる基礎生産は有光層で行われる
5 海の中でも酸素がなければ生物は死ぬ
6 海洋生物をプランクトン、ネクトン、ベントスに分類する
7 有機物の生産様式に光合成と化学合成がある
8 海中の多様な生物間に連鎖的な食う・食われるの関係がある
9 海洋生態系において物質は循環しエネルギーは一方的に流れる
10 200海里時代の水産の戦略は何か
よくある質問
① エルニーニョの定義は何か。
(答)エルニーニョ監視海域(4°N ~ 4°S、90°W ~ 150°W)
の月平均海面水温の平年偏差を5ヶ月移動平均して、0.5℃以上
高い状態が6ヶ月続いた場合をエルニーニョ現象と定義する
(気象庁)。
② エルニーニョは日本の天候にどんな影響をもたらすか
(答)日本では暖冬・冷夏気味で、梅雨明けが遅れ、台風が少な
い傾向になる。
③ ラニーニャとはどんな現象か、たま世界にどのような影響を
あたえるか
(答)①の定義において同海域の月平均海面水温の平年偏差が
- 0.5℃ 以下になる場合をいう。低温になる地域が多くなる
など天候変動をもたらす。日本では暑夏、寒冬になりやすい。
④ 海水の温度上昇はどの程度の速さか
(答) IPCCの4次報告は世界平均で100年間に0.67℃上昇した
という。気象庁によれば日本海中部は同期間に1.6℃、南部は
1.2℃上昇した。世界平均よリ大きい上昇率である。
⑤ 熱塩循環の時間スケールが1000年というのはどうしてわかるか
(答)14C年代測定法による。14Cは上層大気で窒素が宇宙線中性子
との核反応で生成し、ほぼ一定の濃度で大気中のCO2に含まれる。
生物体や海水にも同じ濃度で含まれ、生物が死んだり海水が沈む
と新たな14Cの供給が途絶えるので14Cの量は時間とともに半減期
(5730年)にしたがって減少する。この14Cの減少量から年代を
知ることができる。深層水の年齢もこの方法で求められる。
⑥ どうして海水の質量と大気の質量の比が約300になるのか
(答)大気圧を1013hPa、地球表面の7割を占める海の平均水深を
3700m、海水の密度を1025kg m-3 とすれば、比=(海水の質量:
4πr2 × 0.7 × 3700 ×1025)/(大気の質量: 4πr2 × 1.013
× 105 × 9.8-1) ≑ 260. ここにrは地球の半径である。
⑦ 竜巻は地上でも発生するが、台風とは完全に違う現象か
(答)竜巻は積乱雲の上昇流で発生する強い渦巻きで、気層上下の
密度差で駆動された力学的対流現象である。台風とは成因もスケ
ールも違う。
⑧ 台風に自転が影響しているのであれば、北半球と南半球で何か
違いはあるのか
(答)低気圧のまわりの風向きが北半球では反時計回りであるが
南半球では時計回りに吹き込む。
参考文献
(1) チャールズ・ダーウィン著、島地威雄訳「ビーグル号航海記」
岩波書店、1972
(2)小暮一啓著、海における小さな巨人、「学術の傾向」日本学術
協力財団、2006
(3)井上勲著「藻類30億年の自然史」東海大学出版会、2006
(4)Libes,S.M. Introduction to Marine Biogeochemistry,
Academic Press,2009
(5)東京大学海洋研究所編「海洋のしくみ」日本実業出版社、1998
(6)Campbell,N.A., Reece,J.B.著、小林興監訳「キャンベル生
物学」丸善、2007、科学雑誌「ニュートン」2008年4月号にも
光合成の丁寧な特集がある
(7)Field,J.G. et al. Ocean 2020.