第4回「海洋と気候」
石森繁樹
4.1 気候の形成を左右する海洋の性質
大気の運動である風が波動をつくり、大規模な海流を駆動することを学んだ。今回は海と気象および大気の平均的状態の表現型である気候との関係について考える。海は地球表面の7割で大気と接しているから否応なく毎日の天気や気候に大きな影響を与える。そうした観点から見たときの海洋および海水の物理化学的特質は次のようにまとめられる。
(1) 海水は温度を変えずに多くの熱を吸収する。海水の比熱は空気の約4倍で、全質量も約300倍と大きいため、大気の約1000倍の熱を貯えることができる(両者とも平均温度は270Kと大雑把に見積もった)。海は吸収した太陽エネルギーを数10年あるいは数100年かけてゆっくり放出し、大気は数日から数週間で熱エネルギーを解放する。海は巨大な熱の貯蔵庫として気象と気候に多大な影響を及ぼす。
(2) 海は緩やかに変動する。巨大な海水を湛える海は力学的にも大きな慣性をもつ。海は表面から熱せられて安定化する傾向があるため海水の運動は水平方向に卓越し、運動量・熱・物質の輸送も拡散と移流が支配的である。
太平洋はじめ世界中の海で時間スケールが20年とか50年(1)の変動が知られるようになった。熱塩循環は1000年の時間スケールをもつ。このように海は気候変動の時間スケールが長くなるほど重要性を増す。
(3) 海洋は大循環を行う(図4.1、図4.2)。海洋大循環は熱帯のあり余る熱エネルギーを高緯度に運んで南北間の不均衡を解消する。また、さまざまな物質を運ぶ。
(4) 海水は物質をよく溶かす。すぐれた溶媒としてほとんどすべての元素を溶かし、地球生物化学の進化の舞台になってきた。炭素循環で果たす海の役割も二酸化炭素を吸収し大気の温室効果を和らげる視点から注目される。
(5) 海は大きな水瓶である。海面から蒸発した水蒸気は雲になり、地球の平均雲量を約50%に保っている。この雲の日傘効果により地球の反射率(アルベード)は30%に維持され、その温室効果も手伝って生物生存に適した地球環境がつくられている。雨水は陸上を流れてふたたび海に帰るが、地表を削っては様々な物質を海に運びこむ。
(6) 波の飛沫は凝結核をつくる。海面からは海塩核や硫酸エアロゾル(DMS)(2)が盛んに飛散し、雲の生成に不可欠な凝結核を供給している。
(7) 海水は凍る。高緯度で生成される海氷は大気中の雲に似て太陽放射を反射し海の放熱を遮断する。
4.2 海との縁が深い気象と気候の例
(1) 台風
海がなければ存在しないのが日本の夏を代表する台風である。この低気圧は積乱雲集まった渦巻きで海面水温が26 ℃ 以上の赤道を除いた熱帯海域で発生する。発生場所が限られる理由は、水蒸気の凝結の潜熱が台風のエネルギー源であるため水蒸気の豊富な海上でなければならないこと、および渦を巻くためには自転の効果(コリオリの力)がない赤道では都合が悪いことであるが、統計的に得られた26 ℃なる数値の熱力学的な意味は不明である。台風は年に約28個発生し、その幾つかが日本に接近したり上陸する。風水害の原因になり厄介もの扱いされるが大切な水資源をもたらす。
(2) 日本の気候
気温と降水量は代表的な気候の指標である。日本の気候の特徴は桜前線の動向が示すように南北の気温差が大きいことと全般に降水量が多いことである。雨が多い(日本の年間降水量は1700mm、世界平均750mmの2倍以上)のは四面環海の国だからであろう。
(3) 富山の雪
日本の冬はシベリア気団に覆われるときに始まる。この大陸性気団は冬のシベリア大陸を発源地とする非常に寒冷で乾燥した気塊であるが、日本海を移動するうちに対馬暖流から熱と水蒸気を供給されて変質する。下層から暖められ不安定になった気塊は脊梁山脈により強制上昇させられて日本海側に多量の降水をもたらす。こうして低緯度の富山でたくさんの雪が降るという世界的に珍しい現象が生じる。
(4) 海流の影響で稚内は網走や釧路より暖かい
日本海を北上する対馬暖流(の一部)は宗谷海峡からオホーツク海に流れ出る。そのため最北端の稚内(45°25′)はこれより南に位置する網走(44°01′)や釧路(42°59′)より暖かい。すなわち3地点の年平均気温はそれぞれ6.6 ℃、6.2 ℃、5.9 ℃である。ただし釧路の気温が低いのは親潮(千島海流)の影響が大きい。
(5) 西岸気候イギリスやフランスはサハリンと同じ緯度で北海道の北に位置するがメキシコ湾流の影響で気温と湿度が高く冬も比較的に暖かい。
(6) モンスーン(季節風)
海洋と大陸の熱的性質の差によってひきおこされる大規模な気象現象である。日本では冬季の北西季節風を思いうかべるが、インドに恵みの雨をもたらす南西季節風が有名である。この現象は夏期にヒマラヤ・チベットの地表が加熱されて低圧部となるところへ海洋(インド洋)から高温多湿の気流が流れ込んで生起する。雨季をもたらす南西季節風は約6ヶ月で北東季節風と交代して乾季となる。アラビア海やインド洋のダウ船(dhow)は昔からこの季節風を利用して交易をしてきた。
(7) 海岸砂漠
アフリカ南西部の海沿いにナミビア砂漠がある。海岸のすぐそばを赤茶けた色の砂漠が延々と続く景観は異様である。この砂漠は、亜熱帯高圧帯の沈降気流と寒流(ベンゲラ海流)がつくったものである。沈降気流が断熱的に昇温してできた暖かく乾いた空気が、寒流が流れる海の冷湿な空気の上に乗って逆転層が形成される。逆転層(普通は上空ほど冷たいことが常態であることから命名された)ができると対流が起こりにくく雨が降らない。こうして水蒸気が豊富なはずの海岸沿にナミブ砂漠は形成された。
図4.1 世界の表層海流図(風成循環) (Trenberth,K.E. Climate System odeling.)
図4.2 世界の深層循環(熱塩循環)(気象庁ホームページ)
4.3 大気と海洋の典型的な相互作用
地球に入射する太陽放射エネルギーは1370Wm-2(3)である。このうち30%は反射されて宇宙空間に返されるが残りは地球に吸収される。大気が直接吸収する日射量は非常に少なく大部分は地表面に吸収される。地球表面の7割を占める海は陸に比べて熱容量が大きく貯熱能力が高いので地球が吸収した熱エネルギーの多くは海面を通して大気に与えられる。地球の公転面と自転軸の傾きによって地球が吸収する太陽放射量と地球が射出する赤外放射量の間に南北差が生じる。この差を解消して年間収支を0にするカラクリとして大気および海洋は大循環を行っている。大気は海面で暖められると不安定化するため積雲が発生する。多量の水蒸気が凝結して低気圧が発達すると、そこに吹きこむ風が強まる。
海面を吹く風は流れをつくり水温分布を変える。そうすると低気圧も移動して風の分布が変わる。このように大気と海洋は互いに作用を及ぼして変化する(図4.3)。
大気・海洋相互作用の顕著な例はエル・ニーニョ現象である。熱帯太平洋では貿易風が恒常的に吹いている。この東風に引きずられた赤道の海水(図4.4)は西太平洋に押しつけられ深さ150m程の暖水溜まり(プール)をつくる。ところが数年に一度何らかの原因で東風が弱くなると、西に堆積していた暖水が東へ逆流し、ふつうは冷たいペルー沖の海水温を上昇させる。この数年間隔で起こる暖水の移動現象により太平洋赤道海域の水温が上昇する現象をエル・ニーニョ(El Niño)といっている。最近では1997-1998に大規模なエル・ニーニョ現象が発生して世界各地に異常気象が頻発した。乾燥地帯のペルーやカリフォルニアで大雨、竜巻、洪水が起き、湿潤なインドネシアに旱魃や山火事が発生した。
通常、海水温の高い赤道西太平洋に対流活動の活発な低気圧があり東太平洋に高気圧があって、下層で東風、上層で西風という東西循環(ウォーカー循環、図4.5)が形成されるが、エル・ニーニョのとき(図4.6)は対流活動の中心が東にシフトして赤道太平洋の東風が西
風に変わってしまう。これに関連して南方振動(Southern Oscillation)という現象が知られている。これは南太平の東と西に存在するタヒチ(通常は高気圧におおわれた有名な観光地)とダーウィン(通常は低気圧内に位置するオーストラリア北部の町)の年平均気圧が、一方が上がると他方が下がる変化を繰り返す現象である。実はこの二つの現象、すなわちエル・ニーニョなる海洋現象と南方振動という大気現象の間には密接な相関関係がありエンソ(ENSO)と呼ばれるようになった。エル・ニーニョのときはタヒチの気圧が下
がり、通常年にはタヒチの気圧は上がる。このような海面水温と地上気圧の結びつきは海洋と大気の間の強い相互作用があることを意味する。エンソの発生原因には、赤道を吹く東風と西風の交代が海に大規模な波動(ケルビン波とロスビー波)を誘起して暖水の移動を引き起こす、という考え方があるが未解明な部分が少なくない。ただ1985年以降、エル・ニーニョ現象に対して世界規模の観測が行われ、熱帯大気における対流活動の影響が赤道太平洋にとどまらず世界各地に波及する事実(テレコネクション)が明らかにされるなど研究はおおきく進展している。
一口メモ:
IPCC第4次報告によると大気も海洋も確実に暖まったという。
* 地球全体の平均気温は過去100年間に0.74℃上昇した
* 過去50年間、海洋も同時に温暖化している
* 海水準の上昇は過去100年間余りで17cmに達した
図4.3 大気-海洋の相互作用(NOAAホームページ)
図4.4 海面に働く風応力(年平均値)
図右下の矢は5 dyn cm-2に相当。0.5、1、2、3 dyn cm-2
の等値線をプロットしてある。(Trenberth et al.1990)
図4.5 太平洋のウォーカー循
(Trenberth,K.E. Climate System Modeling)
図4.6 エルニーニョ現象の概念図 (NOAAホームページ)
まとめ
1 海は熱容量が大きい(顔色を変えずに沢山の熱を吸収する)
2 海の変動は緩やかである
3 海水は物質をよく溶かす
4 波の飛沫や海氷も気象と関係する
5 台風は海がなければできない
6 富山の雪は対馬暖流がつくる
7 日本は島国だから雨が多い
8 西岸気候や海岸砂漠は海流がつくる
9 渇いたインドの慈雨はインド洋からやってくる
10 エルニーニョは大気-海洋相互作用の典型例である
よくある質問
① 映画でとても大きな波が襲ってくるのを見たが、実際に観測され
た最大の高波は何mであったか
(答)風浪ではラマポ号が34mの高波を北太平洋で観測(1933)した。
最近では2000年11月4日にNOAAの観測船が30mの波を観測した。
こうした高波をfreak waveという。またリツヤ湾では520mの津波
(1958)があった(4)。
② 海によって塩分は異なるか
(答)場所や時期にもよるが、一般に太平洋の塩分は大西洋の塩分
より小さい。
ただし、塩分をきめるイオンの組成比はどこの海も一定である。
③ 風浪と波浪の違いは何か
(答)風浪とうねりをあわせて波浪と呼んでいる。
④ 仮に海と空気の密度が等しければ風浪はできないのか
(答)その通りできない。波の力学では密度の違いが大切である。
⑤ 海水の動きに対して地球の自転はどのように影響するのか
(答)北半球では動く物体に対して右直角方向に、単位質量あたり
2☓(その地点の自転の角速度)☓(物体の速度)の大きさの
見かけの力(コリオリの力という)が働く。
参考文献
(1)UNFCC/WMO/UNEP IPCC Fourth Assessment WG1 Report. IPCC、
2007
(2)原島省、功力正行著「海の働きと海洋汚染」裳華房、1997
(3)小倉義光著「一般気象学」東京大学出版会、2000
(4)三好寿著「波・津波」河出書房、1971