第6回「海洋基本法」
石森繁樹
6.1 海の国際法
古くから国家は海の恵み・便益・安全をめぐって様々な議論をしてきた。たとえば海洋資源の代表格である魚についてはイギリスとノルウェーの間に漁業紛争があり、イギリスとアイスランドの鱈戦争(1)があった。こうした問題を解決するためには法の力が必要となる。国際社会は、あるときは慣習法に従い、あるときは条約を結んで海の権利義務関係を規定してきた。こうした海の決まりは、結んだ条約は遵守するという国家の明確な意思に支えられてはじめて有効性が発揮される。
歴史の教えによれば、中世の都市国家群が地中海において海の領有権を主張したのを皮切りに16-17世紀には北欧やイングランドが排他的漁業水域をめぐり海の線引き論争を起こした。この風潮はグロチウス(Hugo Grotius、1583-1645)の「自由海論」やセルデン(John Selden 1584-1654)の「閉鎖海論」(2)をうみ、18世紀になると多くの国が領海を主張するようになった。領海の幅(3)について、バインケルスフーク(Cornelius van Bynkershoek、1673-1743)は大砲の着弾距離(3海里が当時の標準値)をもって沿岸国の領海とすることが妥当であると説いた。以来この3海里説が広く受け入れられたが、領海として4海里、6海里、12海里などを主張する国も存在した。
第2次大戦後、米トルーマン大統領が公海上の漁業規制と大陸棚宣言(4)を行うと、これに同調して中南米諸国を中心とする国々が広い海域を自国の領海あるいは経済水域と主張するようになった。国際慣習からすれば海の秩序を乱すこのような国際社会の環境変化に対応して、海事問題を解決すべく包括的な「海の憲法」づくりが開始された。
第一次海洋法会議が1958年ジュネーブで開催され、「領海及び接続水域に関する条約」、「公海に関する条約」、「漁業及び公海の生物資源の保存に関する条約」、「大陸棚に関する条約」(ジュネーブ海洋法4条約といわれる)が採択された。1960年の第二次海洋法会議では領海(6海里)プラス漁業水域(6海里)の審議が行われたが失敗に終わった。ここまではいろんな水域設定が提案されても基本的に公海以外の領海などは狭く押さえるという意思が働いていた。1967年にはマルタの国連大使パルド(Arvid Pardo、1914-1999)が国連において、公海における深海の海底資源は人類の共同財産(the Common Heritage of Mankind)であると提唱した。1972年、ケニアが資源ナショナリズムの台頭を背景に200海里の排他的経済水域構想を提起すると、アフリカ、アジア諸国、ソヴィエトなど多くの国がそれを支持した。こうした提案は従来の伝統的な考え方に見直しを迫るもので、その後の審理に大きな影響を及ぼした。
第三次海洋法会議(1973-1982年)は10年に及ぶ審議の末、1982年に海洋に関する包括的な国連海洋法条約を採択した。こうして沿岸国の主権が領海(12海里)、排他的経済水域(200海里)、大陸棚(最大350海里)に及ぶようになり、世界は200海里時代に突入した。いまや海の40%はいずれかの国の管轄下に属し、自由な海はわずか60%とたいへん狭くなってしまった。
水平線までの距離はどれぐらい? 眼の高さがh (m)のとき水平線までの距離x (海里)はおおよそ次式で求められる。 x =2√h したがって、領海12海里は約33mの高さから見た水平線までの距離に等しい。 |
6.2 海の憲法
海の権利義務関係を律する国連海洋法条約(5)(United Nations Convention on the Law of the Sea:UNCLOS)は1982年に採択され、1994年に発効した。平成19年2月現在、152カ国が本条約を締結している。本条約は全17部320条の本文と9つの附属書から成る長大な法体系で、領海、公海、大陸棚といった従前の分野に加え、国際航行に使用される海峡、排他的経済水域、国際海底機構、紛争の解決のための国際海洋法裁判所設立など新たな規定が設けられた。主な内容を要約すると、①沿岸国の主権関連:領海が12海里、排他的経済水域(EEZ)が200海里と定められた。これにより沿岸国はEEZ内で漁業、鉱物資源、海洋汚染防止について主権をもつことになった。②船舶の航行関連:領海における無害通航権と国際海峡における通過通行権が認められた。③深海鉱物資源関連:公海における海底資源の開発は国際海底機構(ISA)の管轄下に置かれるように決められた。議論の多いところで最近、法のこの部分に自由市場原理と私企業活動を優遇する修正措置が施された。④紛争の調停関連:海洋法条約に関連する紛争を調停する目的で国際海洋法裁判所が設立された。
以下、全17部のタイトルを掲げ要点を述べる。
第1部 領海及び接続水域 territorial sea and contiguous zone:領海は沿岸国の主権がおよぶ、基線から12海里以内の水域。すべての国の船舶は領海において無害通航権を有する。潜水船は領海においては海面上を航行しその旗を掲揚しなければならない。接続水域は沿岸国が通関、財政、出入国管理、衛生上の法令違反を防止・処罰できる、基線から24海里以内の水域。
第2部 国際航行に使われている海峡 straits used for international navigation:公海と公海あるいは公海とEEZを結ぶ国際航行に使用される海峡を国際海峡と言い、すべての船舶及び航空機は国際海峡において通過通行権をもつ。
第3部 群島国 archipelagic states
第4部 排他的経済水域 exclusive economic zone(EEZ):沿岸国の経済的な主権が及ぶ、基線から200海里以内の水域。沿岸国は海底の上部水域および海底の天然資源の探査・開発、保存および管理などの「主権的権利」と人工島の設置、海洋の科学的調査、海洋環境の保護および保全などの「管轄権」を持つ。また天然資源の管理や海洋汚染防止上の「義務」を負う。なお、すべての国はEEZで自由に航行、上空飛行ができ、海底電線や海底パイプラインの敷設もできる。
第5部 大陸棚 continental shelf:沿岸国は基本的に200海里までの大陸棚において天然資源を開発する主権的権利をもつ。ジュネーブ海洋法4条約では大陸棚を200mまたは天然資源の開発可能な水深までとしていたが、開発可能な水深では際限なく領域が拡大するので、領土の自然の延長である大陸縁辺部の外縁(堆積岩の厚さが大陸斜面脚部までの距離の1%以上、あるいは大陸斜面脚部から60海里)までと範囲を限定する定義が与えられた。これによると法的な大陸棚は最大350海里まで設定可能となる。
第6部 公海 high seas:公海とは領海やEEZなどを除いた国家管轄権の及ばない海で、すべての国の航行の自由や漁業の自由が認められる。しかし、生物資源の保存及び管理については各国の協力義務があり、公海における漁業に各種の規制がかかるようになった。船が公海にあるときは旗国のみが管轄権を有する(船はその国の領土そのもので、船長は大きな権限と責任をもつ)が、海賊行為、奴隷取引、海水汚濁、海上衝突など公海上の法秩序が脅かされるときはすべての国の軍艦や政府公用船は海上警察権を行使できる。
第7部 島の制度 regime of islands:
島とは自然に形成された陸地であって高潮時にも水面上にあるものをいい、EEZ水域や大陸棚が設定できる。人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、EEZ水域または大陸棚を持ち得ない。
第8部 閉鎖海または反閉鎖海enclosed or semi-enclosed seas
第9部 内陸国の海への出入りの権利及び通過の自由right of access of land-locked states to and from the sea and freedom of transit
第10部 深海底 the Area:パルドー大使の提唱をうけて、深海底及びその資源は人類の共同の財産である(第136条)と規定され、マンガン団塊を主とした海底資源の探査・開発などの管理を行う国際海底機構(International Seabed Authority:ISA)が設立された。しかし開発技術の移転義務、生産制限、補償制度などを要求する発展途上国と自由な開発を主張する先進国の合意が得られず交渉は難航した。結局、1994年に条約の一部を修正する「実施協定」が採択されて発効に到った。
第11部 海洋環境の保護及び保全 protection and preservation of the marine environment:陸上起因の汚染、海洋投棄による汚染、海洋における船舶からの汚染などあらゆる発生源からの海洋汚染防止についての国家の権利・義務を規定している。
第12部 海洋の科学的調査 marine scientific research:すべての国は平和目的のために海洋の科学的調査を実施する権利を持つが、他国の排他的経済水域や大陸棚における科学的調査については沿岸国の同意を必要とするとしている。
第13部 海洋技術発展及び移転 development and transfer of marine technology
第14部 紛争の解決 settlement of disputes:平和的手段によって紛争を解決する義務や、紛争の解決手段としての国際海洋裁判所、国際司法裁判所、仲裁裁判所について規定している。
第15部 一般規定general provisions
第16部 最終規定final provisions
6.3 海洋基本法(5)
日本の領海を図7.1に示す。領海や排他的経済水域は直線基線をもとに設定されるが、日本が広い「海もちの国」になったことがわかるであろう。このように世界の海に線引きがなされた結果、海洋の4割はどこかの国の管轄下に入り、どこにも属さない自由な海すなわち公海は6割だけになった。
図6.1 日本の領海等概念図(左)および直線基線(右)
もともと水産王国であった日本は海の線引きに反対の立場をとり続けた。そのため国際舞台でeccentricな島国とかexcept oneなどと揶揄されることがあった。一方で韓国や中国はじめ多くの国は新たな海洋法時代に向け積極的に対応した。こうした世界の趨勢に逆らうことは得策でなく政界、財界、民間から新海洋法時代へ向けた体制整備の必要性が強調され、2007年7月に「海洋基本法」が制定された。2008年には、海の司令塔である海洋政策担当大臣が誕生し、海洋政策本部が設立され、海洋基本計画が作成された。
この法律は、地球の広範な部分を占める海洋が人類をはじめとする生物の生命を維持する上で不可欠な要素であるとともに、海に囲まれた我が国において、海洋法に関する国際連合条約その他の国際約束に基づき、並びに海洋の持続可能な開発及び利用を実現するための国際的な取組の中で、我が国が国際的協調の下に、海洋の平和的かつ積極的な開発及び利用と海洋環境の保全との調和を図る新たな海洋立国を実現することが重要であることにかんがみ、海洋に関し、基本理念を定め、国、地方公共団体、事業者及び国民の責務を明らかにし、並びに海洋に関する基本的な計画の策定その他海洋に関する施策の基本となる事項を定めるとともに、総合海洋政策本部を設置することにより、海洋に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって我が国の経済社会の健全な発展及び国民生活の安定向上を図るとともに、海洋と人類の共生に貢献することを目的とする。
海洋基本法の基本的施策は
1 海洋資源の開発および利用の推進
2 海洋環境の保全
3 排他的経済水域の開発推進
4 海上輸送の確保
5 海洋の安全の確保
6 海洋調査の推進
7 海洋科学技術に関する研究開発の推進
8 海洋産業の振興および国際競争力の強化
9 沿岸域の総合的管理
10 離島の保全
11 国際的な連携の確保と国際協力の推進
12 海洋に関する国民の理解の増進
要約すれば、海の開発・利用および保全、海の安全確保、海洋産業の育成、海の教育・研究、海の総合的管理、国際協調などだが、ひらたくいえば海洋権益を最大限に活用するために「海を知り、利用し、守る」ということである。海洋を利用しながら海を守る(保全する)には海洋環境や生態系を重視した海の総合的管理が求められる。こうした海洋政策の実効をあげるにはやはり海を知る人を育て国民の海への関心を高めることが肝要である。
まとめ
1 海洋への進出が盛んになるつれ西欧を中心として「自由海論」や
「閉鎖海論」が起こった。
2 18世紀以降、領海3海里説が広く受けいれられた。
3 公海の深海鉱物資源を人類の共同財産(the Common Heritage of
Mankind)とする有名な演説がおこなわれた。
4 国連海洋法条約が採択され、世界は200海里時代に突入した。
5 日本に「海洋基本法」が制定された。
6 わが国は広い「海もちの国」になった。
7 海洋権益を最大限活かすためには「海を知り、守り、利用する」
ことが重要である。
よくある質問
① カルビン回路をもう少し詳しく知りたい
(答)光合成における炭酸同化、糖生成の代謝回路で、二酸化炭素
の固定、二酸化炭素の還元、二酸化炭素受容体(RuBP)の再生からなる。
1)二酸化炭素の固定(fixation of CO2).カルビン回路の最初の段階
で、まず大気の二酸化炭素がRuBP(5単糖分子)に結合する。 生成した6単糖の中間体は不安定ですぐ2個の3PG(3単糖分子)に分解する。この反応は酵素ルビスコに触媒される。
2)二酸化炭素の還元(reduction of CO2).3PGはBPGを経由する次の
ふたつの反応でG3Pになる。
3PG ⇒ BPG (ATP ⇒ ADP+P) ⇒ G3P (NADPH+H+ ⇒ NADP+ )
これはR-CO2 からR-CH2O が生成される過程で、二酸化炭素が還元されたことを示す。この反応で使われるエネルギーATPおよび還元剤NADPHは明反応から得られる。
3)二酸化炭素受容体の再生(regeneration of RuBP).
カルビン回路の模式図は、CO2分子が3度回路に入って一つの炭化水素G3Pが生産されること、および回路が連続的に働くために5個のG3Pから3個のRuBPが再生される必要があることを表している。後者を図式的に示せば
5 G3P ⇒ 3 RuBP (3 ATP ⇒ 3 ADP + P)
(ここでも明反応で生成されたATPが使われる)
生成されたG3Pは糖質、脂質、アミノ酸などあらゆる有機分子を合成する出発物質として大変重要な存在となる。
ここでは次の略号を用いた:
RuBP(ribulose-1,5-bisphosphate、リブロース1,5-ビスリン酸)
3PG(3-phosphoglycerate、3-ホスホグリセリン酸)
BPG(1,3-bisphosphoglycerate、1,3-ビスホスホグリセリン酸)
G3P(glyceraldehydes-3-phosphate、グリセルアルデヒド-3-リン酸)
ATP(adenosine triphosphate、アデノシン3リン酸)
ADP(adenosine diphosphate、アデノシン2リン酸)
NADP(nicotinamide adenine dinucleotide phosphate)
図は前掲の参考文献『キャンベル生物学』p.217から借用
② 溶存酸素濃度が250mmol/m3とはどのような量か
(答)mmolはミリモルのこと。したがって海水1m3には約1.5×1023個の
酸素分子が存在する。ところで水分子は何個存在するか。これを計算して両者の比率を求めてみよ。
③ 深海の生物はどのようにして調べるのか(気圧の関係ですぐ死ぬと
思うが)
(答)うき袋をもつ浮き魚なら水揚げとともに死ぬが、深海の生物は
体内に空気腔をもたないから破裂することはない。水圧、光、食料その他環境が大きく違い飼育実験は容易でないが、身近なところではオオグチボやシロエビの飼育が試みられている。成功すれば直接的な生態観察が可能になる。なお生理的な調査は生体でなくても可能である。現在は6000m以深の海にも潜水可能な潜水艇が建造され日本では「しんかい6500」や「かいこう」が活躍している。潜水艇以外にも深海トロール、採泥器、深海カメラを用いた調査が盛んに行われている。
参考文献
(1)高梨正夫著『海洋法の知識』成山堂書店、1979
(2)曾村保信著『海の政治学』中央公論新書、1988
(3)田畑茂二郎著「国際法講話」有信堂、1997
(4)村田良平著「海洋をめぐる世界と日本」成山堂書店、2001
(5)インターネット上で政府出版物として検索、利用できる