第10回「富山湾―自然の恵みと神秘Ⅰ」
石森繁樹
10.1 富山湾の特徴
私たちは富山湾から沢山の恵みを得ている。なかでもブリ、シロエビ、ホタルイカなど海の幸(図10.1)は人々の食生活を豊かにし、観光の振興に役立っている。天然の生簀(いけす)といわれる富山湾では暖海性の魚と寒海性の魚が獲れ、環境に優しい定置網漁のお陰でキトキトの味が楽しめる。魚が旨いのも、それなりの理由がなければなるまい。名物誕生の根拠を富山湾の特徴の中に探る。
図10.1 富山湾の海の幸
富山湾は能登半島と飛騨山脈の大地形によってつくられた開放的な湾で、その景観は見る角度によって大きく異なる。氷見から東を望めば海を隔て魚津周辺の市街と北アルプスの雄大な眺望が開け、射水から北を望めば海の向こうに水平線が広がる。魚津から西を望めば対岸には南北に伸びる能登半島のなだらかな丘陵地形がある。湾に船を浮かべて南を望むと高低差のない海岸線に松林、市街地、臨海工場地帯が一線に並ぶ単調な陸風景が続き、海上からはつねに立山を中心とした雄大な自然のパノラマを楽しむことができる。
富山湾の特徴のひとつは急に海が深くなることである。図10.2の海底地形図は海水を取り去ったときの想像図で音波観測に基づいて作成された。水は電磁波(光)に対して不透明なので、海底調査など海中の観測の多くには音波が使われる。図は富山湾を北側から俯瞰した海底地形図であるが、海底中央部を南(図の上方)に行くと急崖にぶつかり、陸棚斜面に刻まれた海底谷を通れば容易に浅い大陸棚に登りつく。その谷頭は藍甕(あいがめ)といわれる谷の駆けあがりで、いくつもの定置網(1)が設置される好漁場になっている。海底谷には現在河川の延長部分が水没したものと、存在理由が不明なものがある。後者の成因としては褶曲、乱泥流の下刻、地下水の流出などが考えられる。富山湾の大陸棚は非常に狭い。200m以浅を大陸棚とすると、観音崎から宮崎鼻までの範囲では氷見で約7km、生地鼻では1km(海底勾配が0.2もあり大陸棚と呼ぶには抵抗を感じる)に満たない幅である。富山湾の海底1000mの深みには富山トラフといわれる凹地があり、大和海盆に達している。富山トラフにはさらにこれを刻んで深海長谷が走り、糸魚川の北から日本海盆まで長さ約400kmを流れ下っている。これが日本周辺海域で最大規模の富山深海長谷である。
図10.2 富山湾の海底地形
(日本近海海底地形誌、茂木昭夫)
富山湾の海水は層構造を形成している。300m以下の深層を冷たい日本海固有水が占め、その上に暖かい対馬暖流系水が乗り、そのまた上の表層(0~10m)を低密度の河川水が覆っている。
富山湾には多数の河川から淡水が流入しているが最近は海底湧水による淡水供給が話題になっている。張(富山大学)の推定によると海底湧水( submarine groundwater discharge)は月平均3.8×108 m3で県内河川水の月平均流入量8.1×108 m3と同じオーダーというから、富山湾の海洋環境を考えるうえの新たな因子として挙動が注目される。
富山湾の海水流動は対馬暖流が能登半島を通過する際の勢いによって複雑に変化する。連続した水中では、ある一部分が速く動けば、それを追いかけて流れが生じ互いに連動して運動が起こるからである。図10.3は各季節における湾内の平均的な流況を表したもので、各層の水温観測から求められた海水の密度分布、いわば海水中の高・低気圧分布から圧力傾度力を計算して得られたものである。流れは複雑であるが、海水が反時計回りに西から東へ向かう傾向は、ブイや海底設置の流速計、電磁海流計を曳航しての計測などでも確かめられている。また、富山湾からの漂流物は多く新潟方面に流れ、流出河川の拡散状況を映した衛星画像にも西から東へ向かう流れがしばしば見られる(図10.4)。こうした海水流動は海岸から数百メートル沖合いの流れで沿岸流といわれる。
海水流動のややこしさはそれが決して2次元的でない点にある。富山湾にはたくさんの定置網が仕掛けてあり、網をあげる漁師は身をもって流れの性質を知っている。彼らにとって表層と下層の流れが違うことは常識である。海底谷が発達した四方沖の海域では神通川の影響もあり、潮で網が破られることがある。とくに下層の流れは複雑で海底谷の谷頭をかけのぼる潮を土地の人は鉄砲水と呼んでいる。
海岸にごく近いところでは海浜流が卓越する。これは、おもに波浪によって岸近くに生じる流れで、海岸の侵食や海浜の砂礫を運搬する漂砂の原因となる。下新川海岸では漁港建設工事などで防波堤を築くと東に砂州がつき、反対側の西で侵食が進む。これは海浜流が西向きであるとすればうまく説明がつく。黒部川扇状地の等高線は同心円の整った扇形というよりは全体的に西にゆがんで見える(藤井昭二教授談)。これも海浜流の絶ゆまぬ営力のなせるわざと考えれば納得がいく。富山湾で沿岸流と反対に東から西へ向かう海浜流が存在するのは、冬場に北寄りの波が卓越することと海岸地形の向きが招来する自然の結果なのだろう。海浜流には岸に平行な並岸流と沖へ向かう離岸流が知られており、富山湾でも離岸流による水の事故が起きている。海水浴の最中にいつもと違う流れに遭遇し、なかなか岸に泳ぎつけないことがあれば慌てずに岸と平行に泳ぎ、この流れ(これが離岸流、幅は狭いので真横に泳ぎきるのは簡単)をぬけ出した後、ゆっくり岸に向かうことが肝要である。
図10.3富山湾の平均流動パターン 図10.4 河川水の流出拡散状況
(内山勇、1993) 黒部沿岸 LandsatTM19950829
10.2 富山湾の名物
(1) 富山湾の神秘ホタルイカ(2)
春3~6月に沿岸の定置網で漁獲される。暁の海面に踊る青緑色の神秘な光は人を魅了する。この発光生物(図10.5)については、常願寺川河口から魚津の沿岸15kmと沖合1.3kmの産卵群遊海面が国の特別天然記念物に指定されている(3)。光は酵素ルシフェラーゼのもとでの発光物質ルシフェリンの酸化反応で生じるが、なぜ光を放つかの理由(図10.6)については、身を隠す(counter shading)、敵の眼をくらます、照明や交信のためなどと考えられている。ホタルイカの寿命はほぼ1年で、昼は深海の200~600mで生活し、夜間に30~100mまで浮上する、いわゆる鉛直日周運動を行うようであるが生活史や生態については未だ不明な点が少なくないという。
(2) 富山湾の王者ブリ(4)
成長するにつれ名前が変わる出世魚で、富山では生まれて1歳くらいまでをツバイソ、コズクラ、フクラギ、2,3歳までをハマチ、ガンド、それより大きいものをブリと呼んでいる。東シナ海(五島列島近海)で生まれ、稚魚のうちはホンダワラなどの流れ藻に付いて生活することが観察されている。2,3年後には体長約60cmの紡錘形に成長し、沖合の長距離回遊生活を始める。春から夏に対馬暖流に乗って
(3) 富山湾の宝石シロエビ(5)
シラエビともいう。生体は無色透明であるが、死後白濁する。漁獲は4~11月に、あいがめの駆けあがり40~200mの水深で行われる。日本近海に広く分布するが、高密度に生息して漁業の対象になるのは富山湾だけである。
(4) ホッコクアカエビ(6)
アマエビと通称される。もともと環北極海に棲む寒海性のエビで南限が日本海である。氷河時代に棲みついたと思われる遺存種で、水深200~600mの日本海固有水域に生育する。小さいときは雄で大きくなると雌に性転換する雌雄同体魚(雄性先熟)である。
(5) ベニズワイガニ(7)
富山湾の代表的な味覚のひとつ。水深400~2700m、水温1℃以下の低水温・高水圧環境に適応した日本海の代表的深海生物である。カニかご漁法の普及により資源量が減少したので資源管理がなされている。
10.3 富山湾の魚はなぜ美味い
富山のさかなの美味さの秘密について富山水産研究所の内山勇氏は次のように語る。
* 暖水性から冷水性まで、回遊魚から海底に棲む魚種まで、多様な魚介類に富
んでいる。
* 多くの魚が生活サイクルの中で美味い時期に獲れること。たとえば、ブリは
秋から冬にかけて南下回遊し富山湾で漁獲される頃は脂が乗っている、ホタルイカは産卵時期に獲れ、卵や内臓が充実している。
* 魚が生きたまま、資源に優しい定置網で漁獲される。
* 漁場が近く、市場に新鮮な魚が供給される。すなわち、多様な魚介類がその
美味しい時期に高い鮮度で供給されることが富山の魚のうまさの秘密ということであるが、まさにその通りであろう。
図10.5 光るホタルイカ 図10.6 光を放つ理由
まとめ
1 富山湾の地形は高度差4000mに象徴される
2 富山湾は大陸棚が狭く、急に深くなる
3 富山湾の海水は3層構造になっている
4 富山湾の流れに沿岸流と海浜流がある
5 富山湾は海の幸に恵まれている
6 富山湾の魚が旨いのにはそれなりの理由がある
よくある質問
① 対馬暖流の流速はどの程度か
(答)最大1.7ノット、普通は0.3ノット程度。因みに黒潮の流速は3~5ノット。
② ベナール型の対流とは何か
(答)シャーレに容れたエーテルに銀粉(アルミ粉末)を混ぜると、表面に六角
形をした蜂の巣状の細胞模様が見られる。エーテルの蒸発で上面が冷却しできるこの対流パターンを発見者にちなみベナール対流と呼んでいる。細胞の水平スケールは深さの約2倍になることが知られている。
③ 間宮海峡はなぜタタール海峡とも呼ばれるのか
(答)シベリア・ロシアに住む部族タタールによるものか。中国(明)ではタタ
ールを韃靼(だったん)と称した。間宮海峡(19世紀初頭間宮林蔵が海峡であることを発見)、タタール海峡、韃靼海峡みな同じ。(「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」 安西冬衛の一行詩)
④ 海面の渦はどのようにして計測するのか
(答)渦の大きさは様々であるが、総観規模(synoptic scale)の渦はリモート
センシングを用いた海面温度(SST)分布の計測によることが多い。
⑤ 日本近海には何種類の魚が棲んでいるか
(答)正確な数は不明である。目安の一つとして3600余種(本間義治著「日本海
の魚類相」、日本の科学者Vol.30、No.3、1995)を挙げておく。
⑥ 地球温暖化が海流を変え、寒冷化などの異常気象を生じる可能性はあるか
(答)地球が温暖化して、たとえば大西洋のグリーンランド近海で冷水の沈み込
みが小さくなると深層循環に異変が生じメキシコ湾流が弱くなる。そうすると湾流が運ぶ多量の熱が北部ヨーロッパに供給されなくなり寒冷化する。これに関連して、ベルとストリーバーの文庫本『The Coming Globl Superstorm 』(8)が面白いので一読を薦めたい。また、IPCCの第4次報告書(2007)(9)にも"Has the Meridional Overturning Circulation in the Atlantic Changed ?" なる囲い記事がある。
⑦ 地球温暖化が日本海に及ぼす影響は具体的にどのようなことが考えられるか
(答)IPCC(気候変動に関する政府間パネル)から第4回目の報告書が出た。1990
年の第1回報告書では控えめな表現で気温上昇と人間活動との関連について言及していたが今回は表面温度が100年で0.74℃上昇し人類起源の影響が大きく効いていると明記している。報告書によれば海面温度は0.67℃、海面水位は17cm上昇した。気象庁は現在、「海洋の健康診断表」として日本近海における海面水温の長期変化傾向の情報を流している。これによると日本海の中部でこの100年間に海面水温が1.6℃、南部で1.2℃上昇し、北部では統計的に有意な結果が出ていないという。さて地球温暖化が進めば日本海はどうなるのであろうか。これに関して最近の日本海で起こったことを思い返してみると①水温が上昇した、②深層水の生成が弱くなった、③私たちが体感的に知っているように雪が少なくなった、④
図10.7 亜熱帯循環系の海面水位
参考文献
(1)今村明著「定置網」富山大百科事典、北日本新聞社、1994
(2)奥谷喬司編「ホタルイカの素顔」東海大学出版会、2000
(3)坂下顕著「富山湾魚類図鑑 ホタルイカ」アキ編集室
「出版倶楽部」、1999
(4)坂下顕著「富山湾魚類図鑑 ブリ」アキ編集室
「出版倶楽部」、1999
(5)坂下顕著「富山湾魚類図鑑 シラエビ」アキ編集室
「出版倶楽部」、1999
(6)坂下顕著「富山湾魚類図鑑 ホッコクアカエビ」アキ編集室
「出版倶楽部」、1999
(7)坂下顕著「富山湾魚類図鑑 ベニズワイガニ」アキ編集室
「出版倶楽部」、1999
(8)Whitley Strieber and Art Bell, The Coming Global
Superstorm, Pocket StarBooks, 2004
(9)UNFCCC/WMO/UNEP IPCC Forth Assessment WGI Report. IPCC,
2007