第11回「富山湾―自然の恵みと神秘Ⅱ」
石森繁樹
11.1 富山湾で見られる特異な事象
(1) 蜃気楼
風が弱く穏やかな春先の富山湾にはときおり蜃気楼が現れる(図11.1)。これは海上の船や対岸の建物が伸縮したり上下逆さまに重なって見える幻に似た光景で、魚津の蜃気楼が有名である。時期的には4月から6月によく出現する。光は媒質の屈折率によって速度が異なる(光速は屈折率に逆比例し、その屈折率は密度に比例する)。光は1点から他の点まで最小の時間を要する径路を通って進む(フェルマーの原理)ので、媒質により光の速度が違うと不思議な見え方になることがある。たとえば、水平線に沈む太陽を見ているとき、じつは太陽はすでに沈んでしまって本来そこには存在しないのである。これは真空と地球大気の屈折率の違いに由来する。蜃気楼も本質的には、これと同じ光学現象である。海面付近の空気が冷たく、その上に暖かい空気が重なった下密上疎の成層状態では、上に行くほど光は速く進む。この場合、水平線より遠くにあり本来見えないはずの物体が浮き上がって見える。この蜃気楼は実際より高い位置に浮上したり、伸び上がって見えるので浮上蜃気楼とか上方蜃気楼と呼ばれている。
富山湾に蜃気楼が現れやすい理由としては、春の冷たい雪解け水が流れ込むこと、富山湾が高い山に囲まれた静かな海であること、春先にフェーン気味の暖かい南風が吹くこと、対岸の景色が見渡せることなどが考えられる。
図11.1 蜃気楼(吉村博儀氏提供)
(2) 埋没林と海底林
魚津市の海岸付近で約1500年前の杉の樹根が発見された(1930)。これを埋没林という。魚津埋没林博物館には樹齢500年前後の杉の樹根9株と幹2本が保存されている。1995年に国の特別天然記念物に指定された。
また、黒部扇状地の入善沖では水深20~40mの海底から約8000~10000年前のハンノキやヤナギの幹の根元部分が数多く発見された(1980)。佇立する大樹の幹や朽ちかけた樹根群を水中に見る景観はまさに幻想的である( 図11.2 )。この海底林(1)は当時の樹木が黒部川の洪水堆積物で埋もれたあと海流や波により埋積土砂が除かれて姿を現したものと考えられる。海底林は大陸棚が氷河時代に植物が生い茂る陸であったことや温暖化に伴い海水準が上昇したことを示す、気候変動の身近な証拠として貴重な存在である。
図11.2 入善沖の海底林
(3) 寄り回り波
富山湾の「寄り回り波」は日本海の代表的なうねりとして知られている。北東に開いた湾の形と海底地形が関係して特定の海岸で高波となり、冬の凪いだ日に突如来襲する。うねりの発生源は
図11.3 寄り回り波の衛星画像
(ERS SAR 19930318)
富山湾は2008年2月24日の高波(3)により死傷者18人を含む大きな災害にみまわれた。県東部の
今回の高波は「寄り回り波」に、北西風による風浪と連続的に押し寄せた波により海岸水位が上昇するなどの要因が加わり通常より更に波高が増したものと考えられる。
「寄り回り波」にはこのように災害をひきおこす厄介な面があるが、波と波に伴う流れは、沿岸水を撹拌し海藻はじめ海中生物に対して酸素や栄養塩類の供給を促進するとともに、浮泥を除去したり、海藻の掃除をするなど、沿岸の水中環境をリフレッシュする大切な働きのあることも認識する必要がある。
図11.4被災した北防波堤
(4) 海岸侵食
白砂青松の自然海岸が少なくなった。富山湾もその例にもれず海岸沿いには防波堤が築かれ、外側には離岸堤が続いている。この光景は、海岸侵食という自然の猛威に立ち向かう人間の営みを物語るものである。富山湾では黒部扇状地海岸や宮崎海岸の海岸浸食が著しく、汀線が40年間に20mないし90m後退したところがある。また、下新川海岸における突堤建設の結果、東側に土砂が堆積し西側で著しく侵食が進行した例がある(図11.5)。海岸侵食の直接的な原因は波浪や海浜流などの営力であろうが、海岸を構成する物質の性質と背後地から運ばれる物質量の多寡に左右されるから供給土砂を減少させる砂防工事やダム建設など人為的影響も無視できない。富山湾の海岸侵食が顕著な理由のひとつには、大陸棚が狭く、海底谷の谷頭が河口のすぐ先まで迫るという特殊な地形がある。河川から排出される土砂は大陸棚に堆積するのがふつうであるが、富山湾の場合は深海に直送される(4)ようである。
(5) オオグチボヤ
深海に棲む原索動物のホヤの仲間である。ホヤは昭和天皇が研究対象とされたとか、原索動物なので進化論的に人の先祖にあたるとか、ホヤが有するバナジュウム濃縮能力が注目されたり、酒の肴として珍重されるなど何かと話題の多い生き物である。
2001年に富山湾七尾沖でオオグチボヤのコロニーが見つかった(5)。これまでモントレー湾(米)、チリー沖、南極、相模湾で見つかっていたが、コロニー(群集)の発見は富山湾が初めてという。図11.6のようにマスコット向きの愛嬌のある姿をしている。その後の調査により、オオグチボヤは水深が約300m以下の海底斜面にある岩盤や沈木、空き缶などに付着して群生していること、七尾以外でも氷見、新湊,魚津沖に広く分布することなどが明らかにされた。オオグチボヤは大きな口をあけ一体何を食べて生きているのだろうか、いままさにその謎解きが始まろうとしている。
図11.5 宮崎漁港 図11.6 オオグチボヤ
(海上保安庁提供) (精密模型、体長10cm)
竹内章教授(富大)提供
11.2 「富山湾に学ぶ会」
本会は富山湾の面白さあるいは学問的に興味をひく話題を中心に海を語る勉強会として出発した。発足は国連海洋法条約が採択された翌年1983年である。当初は富山湾の調査・研究から得られた話題が中心であったが、現在は富山湾だけではなく日本海の環境や地学的な問題など多方面からテーマを集めて議論をしている。勉強会は毎月1回のペースで、誰もが気軽に参加でき、楽しい意見交換の場となる、をモットーに続けている。本会は2010年6月現在で163回を数えた。
「富山湾に学ぶ会」で発表された講演テーマの一部を列挙してみる。富山湾に関連したさまざまな話題があることを知ってもらえれば幸いである。
富山湾の地形と底質
富山湾の海況
富山湾における竜巻と冬雷
あいがめの生物たち
富山湾東方の深海サンゴ
富山湾のサケについて
富山湾の深海生物-なぜいま深海生物か-
富山湾のエビ(クルマエビを中心として)
富山湾深層水の物理的環境について
富山湾近海における潜水活動と潜水機器について
合成開口レーダ画像にみる富山湾の沿岸波浪
富山湾のアマエビ
富山湾の海水の流れ-暖流と寒流はぶつからない-
海王丸永久保存の意義を考える-海洋文化の生涯教育と地域
おこしの核として-
中新世の富山湾古環境-
富山湾のホタルイカ資源
富山湾産アユの生活史
富山湾の深層水
富山湾のブリ
富山湾の波と土
富山湾の海藻
ベニズワイを飼育してみて
富山の蒲鉾
海水からの有価物の製造-水酸化マグネシウムの採取について-
海水からの有価物の製造-臭素の採取について-
富山湾の海底地震計観測
衛星観測による重油流出状況把握の試み
地球温暖化と富山
日本海重油流出事故の被害にあった海鳥類とその寄生虫
深層水を使ったサクラマスの飼育
漁業制度からみた富山湾
素人の夢、深海の夢
しんかい2000で見たベニズワイガニ
海難防止論-21世紀への課題-
ホタルイカと光-光環境と産卵行動-
黒部川河口周辺の海底ビデオ映像
ブラックバスをとりあげる
海洋汚染の人工衛星による監視
富山湾の海底環境とマクロベントス
海洋深層水および濃縮水の温浴による健康作用
「神秘の海・富山湾」を取材して
富山湾圏の構想について
富山湾を特徴づける生き物は?-オオグチボヤやアバタカワリギンチャク-ほか」
富山湾の海上における鯨類の目撃記録
富山湾とその周辺の珪藻化石あれこれ
富山湾のアユの話
鮮新世三田層雑感
伏木富山港の水先
子ぶり石に新しい仲間-ノジュールの成因に向けて-
富山で生まれた日本海学
海洋深層水の運動浴による健康増進効果について
能登半島の岩のり
帆船海王丸のボラテア20年
富山湾でのCTD・ADCP調査報告
* 富山湾の海中の四季
本会は毎月第3土曜日(14~16時)、富山駅前の市民学習センタ
(CiCビル3階)で開催。会費100円。
まとめ
1
りする。
2 数千年前の森林の残存物を埋没林(
る。
3 日本海のうねりとして「寄り回り波」がある。
4 富山湾の海岸線は砂質海岸が多く自然海岸が少なくなった。
5 富山湾にもときに高波被害が発生する。
6 富山湾で最近オオグチボヤのコロニーが発見された。
よくある質問
① ホタルイカ、ブリ、シロエビの漁獲高(トン/ 年)はどれくらいか
(答)ホタルイカ2098 、ブリ2012、シロエビ490。 ここでブリの数値はフクラギ
1691、ブリ240、ガンド81の合計とした(
② 水深が急に深くなることで何か影響はあるのか
(答)海水の湧昇のような上下運動や内部潮汐に伴う複雑な運動が起きやすく、
生物にとっては深いところから浅所へ簡単に辿り着ける魅力的な場所なのではないか、と思考する。
③ シロエビの長期生態展示ができるようになったと聞くが、改善点は何か
(答)生息環境(水温、照度、水流など)を水槽内に再現することおよび餌料の
選択や餌つけで試行的な改善が行われた。近畿大学水産研究所はシロエビの生態観察(甲殻類の脱皮現象など)や卵から孵化させた稚仔の育成に向けた実験研究を続行している。
④ オオグチボヤの根元の部分はどうなっているか
(答)ホヤの幼生は一時期プランクトン生活をするが、やがて変態して海藻の
根のような付着器(根元の部分)を生じ岩などに固着した生活をはじめる。
⑤ ホタルイカは富山湾以外どこに生息しているか
(答)日本海、相模湾、駿河湾、房総沖など広範に生息する。
⑥ なぜ出世魚は成長とともに名前が変わるのか
(答)姿や大きさの違う魚であれば名前が異なって当然であろう。ブリなどは
1年魚、2年魚でひとまわりもふたまわりも身体が大きく立派に成長する縁起魚だから武士が出世して改名したように、異なる名で呼ばれるようになったものと想う。「ブリハマチもとはイナダの出世魚(しゅっせうお)」
⑦ 富山は鱒寿司が有名だが、鮭と鱒の違いはあるのか
(答)サケ科の魚を種によってサケとマスと呼んでいるだけである(6)。サケ科の
魚にはシロザケ(新巻としてなじむ)、ベニザケ、ギンザケ、サクラマス、ニジマス、ヒメマスなど世界で70種ほどが知られている。サケ科の魚には降海型(川で生まれ海に下って成長したあと母川に戻り産卵する)と陸封型(一生を川で過ごす)がある。降海型のサクラマスの陸封型はヤマメであり、降海型のベニザケの陸封型はヒメマスである。富山の鱒寿司には神通川を遡上するサクラマスが使われたが、現在は
参考文献
(1)藤井昭二、奈須紀幸編著『海底林』東京大学出版会、1988
(2)Ishimori,S. et al. On the Image of the "Yorimawari-nami" by SAR,
Report of JERS/ERS System Verification Program,MITI/NASDA,1995
(3)石森繁樹、林節男「高波被害と海洋教育」日本環境学会第34回研究発表会
in富山予稿集、2008
(4)中島健「富山湾における河川から深海への土砂輸送過程」
日本海洋学会講演要旨集、2007
(5)張勁「陸と海がつながる自然の循環系」日本海学の新世紀3、
角川書店、2003
(6)上野輝弥、坂本一男著『日本の魚』中公新書、2004