第7回「海の安全」
石森繁樹
7.1 海の安全の現状
日本の海は安全だろうか。能登半島に志賀原子力発電所がある。付近の高みから海上に目をやると一隻の白い船があった。形や動静から、漁船ではないと感じ調べてみると海上警備の巡視船であった。9.11事件後のテロ対策として海上保安庁は連日この任務に当たっていた。
あちこちで不審船事案が起こった。能登半島の沖で日本漁船の姿をした2隻の不審船が発見された。海上保安庁巡視船は領海侵犯のかどで停船命令を出したが、これを無視して遁走した(1999)。自衛隊誕生以来初の「海上警備行動」(1)が発令された事件であった。2001年には哨戒中の自衛隊機が不審船を発見したが巡視船や航空機の停船命令と警告射撃を振りきり逃走した。不審船は追跡する巡視船に自動小銃やロケット・ランチャーで攻撃をしかけたが、最後は追い詰められ中国領海内で自爆沈没した。引き揚げてみると北朝鮮の工作船(2)であることが判明した。船内には子舟や水中スクーターが格納され、ロケット・ランチャー、地対空ミサイル、機関銃を搭載する戦闘艇そのものだった。
密漁船など違反操業のニュースが後を絶たない。潜水器具を使用しての密漁や漁業協定違反の操業は地元漁師の死活問題だけでなく乱獲による資源の枯渇を招きかねない。
2008年にも
海上ではときに船同士の衝突事故が起こる。2006年、根室沖でサンマ漁船とイスラエルの貨物船が衝突し漁船員7名が死亡した。2007年、宮崎の小型船が大型の貨物フェリーに当て逃げされた。小型船の3人は海に投げ出されたが、さいわい救命ボートに乗り移り3日後に救助された。何故にその場で捜索救助の活動がなされなかったのか海の男の常識では考えにくいことだった。海の恐さを知る者の紳士協定として人命救助は海上における当然の勤めであり、シーマン・シップ(seamanship)といわれる船員の常務だったはずである。
海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突(2008年2月19日)や 明石海峡における貨物船、タンカー、砂利運搬船の3重衝突(2008年3月5日)が起こった。いずれも船舶が輻輳する海域を自動操縦で航行していた。監視体制や当直士官の習熟度が不十分であり、安全に対する意識の希薄さが招いた事故であった。
次は海賊の出現である。マラッカ海峡は日本のエネルギー輸送の生命線であるが、商船に対する海賊行為(船舶の強取、船内財物の強取、人の略取など)が横行し、2003年に150件発生した。2005年には石油掘削プラントを曳航中の外洋型タグボート「韋駄天」がマラッカ海峡で海賊に襲われ3人が誘拐された。2007年ごろからソマリア沖・アデン湾で海賊事案が多発した。2008年には111件、2009年には210件が発生し、50数隻が乗っ取られ、約257名の船員が人質となった(4)。わが国の船舶では2008年、アデン湾で15万トン大型タンカー「高山」が不審な船舶から発砲を受けて被弾し、2009年には自動車運搬船「JASMINE ACE」が銃撃を受けた。ソマリア沖・アデン湾はスエズ運河を経由してアジアとヨーロッパを結ぶ重要な交通路で年間18,000隻の船舶が通航する。
こうした事態に対処するため世界各国は海軍を派遣して安全な海上交通路(シーレーン)の確保につとめている。もともと海軍は商船隊の活動を守るために誕生した歴史的経緯がある。わが国も2009年、「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」を制定して自衛隊法による艦船派遣を決めた。2009年12月現在、当該海域の海賊対処行動に48回出動し356隻の船舶を護衛する(4)など海の平和と安全を脅かす現代版海賊問題と真正面から取り組み航行安全に貢献している。
日本周辺海域には竹島、尖閣諸島、北方4島など難しい領土問題があり、日本と周辺諸国間に衝突が目立つ。竹島は日韓双方が領土を主張する係争地であり排他的経済水域(EEZ)をめぐる論争が絶えない。たとえば、2006年海上保安庁が竹島海域海洋調査を行うため測量船を現地に向かわせようとしたら韓国はこれに猛反対し、調査を実施すれば測量船の拿捕も辞さないと強硬態度に出た。結局は日韓の外務次官折衝で日韓衝突は避けられたものの事態は一向に解決していない。尖閣諸島でも日中が領土を主張するなどEEZ境界付近の資源開発や領海をめぐる問題が多発している。2008年には中国海洋調査船2隻が尖閣諸島魚釣島南東約6kmの日本領海を航行し、警告を無視して停留するニュースがあった。北方問題も日ソ外交の進展がなく解決の目途が立っていない。毎年のようにロシアによる不条理な漁船の拿捕が続いている。
北朝鮮のミサイル発射実験があった。中距離ミサイル・ノドンや長距離ミサイル・テポドンが日本海や太平洋に着弾する物騒な海になり、国民とくに空や海で働く者には大迷惑であった。拉致問題は今日も未解決である。海上保安庁作成の北朝鮮工作員の浸透ポイントを見ても海岸警備体制の手を緩めるわけにはいかない。
7.2 海の安全の確保
このように日本の安全にかかわる海事問題はいろいろあるが、こうした事態への対応は一体どうなっているのであろうか。不審船事案の教訓と反省を踏まえ海上保安庁と海上自衛隊間の連携強化が問題となり法改正がなされた(2001年)。改正海上保安庁法では不審船への立ち入り検査で武器使用が認められ、臨検対応がしやすくなった。
改正自衛隊法では武装工作員の事案等に効果的に対応する武器使用が可能になり、海上自衛隊では新型ミサイル艇の速力向上、護衛艦への機関銃の装備、艦艇要員充足などが実施されるようになった。また、哨戒機(P-3C)から基地および基地から中央への画像等大容量情報伝送能力の強化がなされ、不審船については不測の事態に備え当初から自衛隊の艦艇を派遣する、遠距離から正確な射撃を行う武器を整備する、などの措置が講ぜられるようになった。
海上保安庁と海上自衛隊の違いを端的に表現すれば、前者は海の警察業務を担当し、後者は防衛業務を担当する。警察業務としては、海の治安維持、海上交通の安全確保、海難救助などが挙げられるが、不審船、武装工作員、海賊、テロなどへの対応は海上保安庁だけでは困難を伴う。こうした事案には共同で対処することが大切で最近は海上保安庁と海上自衛隊との合同訓練も行われるようになった。
違法操業や密漁といった漁業問題への対応も厄介な問題である。明らかに他国の領海に入っての密漁は厳重な監視と取り締まりを強化すれば解決しそうに見えるが適切な装備を有する海上監視の舟艇が不足する現状ではそれも難しい。関係者の交流に基づく漁業資源への共通理解、相互信頼、モラルの醸成など環境整備に期待したいが実現にはまだ時間がかかりそうである。
排他的経済水域が重なり境界が不明確な水域の漁業問題は特に厄介である。関係国間で漁業協定を結び暫定水域を決めても、領土問題の解決と排他的経済水域の境界画定がなされない限り従来どおりの不法操業は続き、結局は国益を損なうことになるだろう。積極的な外交努力により一日も早く問題が解決されることを望まずにはおられない。
海上は常に大切な人材物資が輸送される場である。輸送が安全に行われるためには、海上輸送に携わる優秀な人材と安全なルートの確保が不可欠である。
日本は資源もエネルギーもほとんどを海上輸送に依存している(輸送量は重量換算でわが国貿易全体の99.7%)。中東からの石油はホルムズ海峡やマラッカ海峡を、食料その他の物資もそれぞれのルートを通って運ばれる。海上輸送に携わる我が国商船隊は1980年の日本籍船1176隻、日本人外航船員38000人から、2005年の95隻、2600人へと激減した。これは海運企業が経済を優先して、船籍を税金の安いパナマやリベリヤに移籍し、低賃金の外国人雇用に切り替えたためである。こうした政策によって生じた負の遺産は、海に生きる人間の専門性を疎外し、海上技術を身につけた人材を多量に切り捨てたことである。
現在の日本商船隊が運航する船舶は約2300隻(殆どが便宜置籍船(5)で日本籍船は90隻のみ)であるが、その大半は外国人(96%)の手で担われ、有事の際(日本が武力攻撃を受けるなど)は物資の安定輸送に支障が出かねない。今こそ、国は一定規模の日の丸を掲げた日本籍船を保有し、優秀で信頼できる日本人船員を確保する意思を明確にして無策といわれた海運政策に早く終止符を打つべきである。
島国日本はまさかの時に海の糧道を絶たれたらお終いである。海上交通の安全ルートの確保は平時においては海上保安庁が、有事の際は自衛隊が担当すると言ってしまえば簡単であるが、大切なことは平素から外交や経済を通して海の路(sea lane)の安全確保に努めることだろう。さいわい2007年4月に待望の海洋基本法が成立し、2008年3月には海洋基本計画が策定された。「海洋の安全の確保」は本計画の重要な柱のひとつに取り上げられている。この法整備によって一元的な海洋戦略の構築が可能になったので、本稿で論じた諸問題が一日も早く解決し安全で平和な海が実現することを祈りたい。
一口メモ:
新たな海運政策案として国は、非常時にも最低限の社会生活を続けるために必要な日本籍船を450隻、日本人外航船員を5500人と試算した。海洋基本計画は海上輸送の安定確保のため日本籍船を5年で2倍に、日本人船員を10年で1.5倍に増強する政策を打ちだしている。このナショナルミニマム論を実現するためにも、「トン数標準税制」(6)を導入するなど強い政治のリ-ダーシップを発揮してもらいたいものだ。
まとめ
1 不審船、密漁船、衝突、当て逃げ、海賊行為など海の安全を脅かす
事案が多い
2 領海をめぐる侵犯問題が後を絶たない
3 排他的経済水域の線引きは厄介で未解決な問題である
4 公海においてもミサイル落下の危険や海賊行為が発生する
5 海の安全を守るのは海上保安庁と自衛隊である
6 海上保安庁は海の警察業務を担当し、自衛隊は防衛業務を担当する
7 海運立国の日本にとりシーレーンの確保は重要である
8 海上輸送の安定確保のため日本籍船と日本人船員を増強する必要がある
9 海洋の安全の確保は海洋基本計画の重要な柱である
よくある質問
① 津軽海峡は日本の領海か
(答)津軽海峡は国際海峡とし、3海里を領海としている。
② 水平線までの距離を求める近似式はどのようにして得られるのか
(答)眼Eの高さをh、地球中心をO(半径をr)、眼から水平線の一点Pまでの距
離をxとする。直角三角形OPEの辺の長さの関係から
r2 + x2 = ( r + h )2
x2 = 2rh+h2
x = (2rh+h2)1/2 ≑ (2rh)1/2
この式に、r= 6370kmと眼の高さhを代入すれば水平線までの大体の
距離xが求まる。hをm単位、xを海里単位で表せばx=2h1/2 。
③ 排他的経済水域を200海里と決めた理由は何か
(答)一説によると1947年にチリーがフンボルト海流の幅から200海里保存水域
を主張したといわれる。
④ 北朝鮮は海洋法条約を採択しているか
(答)調印したが批准はしていない。
⑤ 200海里境界線付近で発生する問題にどのように対処したらよいか
(答)関係当事者国どうしで話し合うことを基本とする。国際裁判所が調停に
入ることもある。
⑥ 200海里の管轄海域の広さはアメリカがトップか
(答)アメリカ、オーストラリア、インドネシア、ニュージーランド、カナダ、
日本の順。
⑦ 沖ノ鳥島は日本の島か
(答)1931年に小笠原支庁に偏入された日本最南端の島である。九州パラオ海嶺
の中央付近に位置し、石灰岩の島(礁卓)であるため継続的に護岸工事が行われ、気象観測や灯台設置など独自の経済的生活が営まれてきた。
⑧ 大陸棚延伸問題とは何か
(答)国連海洋法条約第76条「大陸棚の定義」及び77条「大陸棚に対する沿岸国
の権利」によると、200海里経済水域を超えて広い大陸棚の海底及び海底下の鉱物資源、石油天然ガス資源などの非生物資源、海底および海底下に生息する生物資源の開発に関する権利を主張できるので、沿岸国は大陸棚限界を広く画定するために躍起になっている。条約では、海底部分が「領土の自然の延長」であれば大陸棚と認めることを基本にしているので、たとえば日本という陸塊、あるいは地質体はどこまでか、を国連の「大陸棚限界委員会」に証拠を示して納得させる必要がある。申請中で現在審理が行われている。
⑨ なぜ鳥取や兵庫のところで領海が狭いのか
(答)領海の幅を測る根拠の基線には「通常の基線」と「直線基線」の2種類
がある。前者は海岸の低潮線を基線とし、後者は一連の島が存在したり屈曲した湾入など形状が複雑な海岸線に設定できる基線である。上記の海岸では前者が適用されている。
参考文献など
(1) 海上警備行動: 不審な船や艦船の出現に対処するため、自衛隊法により
艦船を派遣して治安を命じる行動。海上の治安維持にあたる海上保安庁の能力を超えると判断したとき防衛大臣が発令する。
(2)海洋政策研究財団編「海洋白書2004」成山堂書店、2004
(3)海洋政策研究財団編「海洋白書2009」成山堂書店、2009
(4)海洋政策研究財団編「海洋白書2010」成山堂書店、2010
(5)便宜置籍船:船主が外国に船籍を置いた船。税金や法令適用の緩和策と
して用いられる。
(6)トン数標準税制:運航している船舶のトン数から利益を推定して課税する
方式。好不況によらず一定税額で諸外国は既に採用している。